それでいいんじゃない?ブログ

悩んでも、明日はくる

■ 虚無と桜と枯れ池と

 

■ネット
ネットを眺めていた。
YOUTUBE。Yahoo。グーグル。etc。天気予報や音楽や動画。
気になる情報を手当たりしだい検索して、眺めていた。

膨大で広大な情報に触れると、自分の存在が小さく見えて、
なんだかそのまま消えて死にたくなった。
この文章、描いている絵に、存在意義はあるのだろうか。
自分はいったいなんなんだろう。
膨大な情報の前では、自分は何の価値もないじゃないか。
自分が、膨大で広大な大地の、隅っこに落ちてる「チリ」に感じる。
そんな気がして、すごく気持ちが暗い。

 

ネットの中で果てしなく行われる、情報の発信。
ユーザーの数だけ、それぞれ何かを言っている。
その中に、私の名前を呼ぶ人は、一人もいない。
とても身近で、決して交わることのない空間。

 

ネットは、情報も存在価値も命も価値観もモラルも悪いことも良いことも、
全てをフラットにする。
軽くて薄いテキストに置き換える。
限りなく価値を0へ近づける。軽量化の空間。

意味も無くネットを長時間見るのは、心身に悪いと思った。

 

■枯れ池
自宅を出て、山の方へ歩いて40分のところに、枯れた池がある。
昔は周辺地域一帯の水を溜めていたが、昭和の住宅・環境開発によって枯れてしまったそうだ。
その枯れてしまった池は、周りを山に囲まれていて、
山から染み出る雨水を少しだけ吸って、今は泥のような沼のような湿地帯になっている。

枯れた池は、いつもカエルの鳴き声でいっぱい。
草の影から、湿地帯の中から、ゲコゲコ元気な鳴き声を響かせている。
なんだかとっても、田舎な気分。
「昔の日本」って感じがして、ノスタルジーに浸っている。
夏にはホタルも見れるみたい。

 

最近、自分の拠り所になっている。枯れ池。
ここKANAGAWAに引っ越して良かったと思った。
自然に触れるだけで、少しだけ心が元気になる。
寂しさや虚無感を、少しだけ忘れさせてくれる。

 

■希望
くじけない心がほしい。
転んでも、傷ついても、虚無に囚われても、
「それがどうした」と言える、強い心がほしい。
どうして傷ついて、辛いのだろう。
どうして苦しいのだろう。
前を向きたいんだ。
先へ進みたいんだ。

 

なのにいつも、グチグチ悩んでばかり。
悩んで辛くなって、苦しんで、虚無に囚われて、
疲れきって…。

 

「毎日の小さな積み重ねが、大きな成果に繋がる」
いつだったか、イチロー選手がこんなことを言っていた。
目の前にある小さなこと、できることを毎日コツコツ積み重ねれば、
いつか何かの形になる。成果が表れる。

 

辛い。苦しい。虚しい。
だけど、この言葉を支えに、毎日コツコツ積み重ねている。
いま自分にできることを。